核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

敵にどう対処するか?

 橋本環奈さんが「千年に一人の逸材」なら、シャンタル・ムフは「二千年に一人の逸材」ではないかと、私は真剣に考えています。
 人間が生きていく上で「敵」と出くわすことになるのは、数千年前も現在も一緒でして。恋敵や親の敵といった私敵から、敵国人のような公敵にいたるまで(「商売敵」のように、どっちか微妙なのもありますが)、とにかく敵のまったくいない人間は存在しないわけです。ソクラテスやイエスだって、しょっちゅうソフィストや律法学者にからまれていました。
 で、敵にどう対処するかですが。人類はおそらく有史以前から、「敵を憎み、害し」てきました。
 それに対し、「敵といえど害するのは正義ではない」と言ったのがプラトンの描くソクラテス(『国家』の執筆時期から考えて、プラトン独自の意見かも知れません)であり、「敵を愛しなさい」と言ったのがマタイやルカの伝えるイエス(これも歴史上のイエスそのものなのかはわかりません)だったわけですが。
 前者は「じゃあどうすればいいんだ」だし、後者は「無理」でした。イエス自身だって、律法学者やパリサイ人を愛していたようには見受けられません。
 で、何度も書いたようにムフの「敵を対抗者とみなせ」が、二千年ぶりの新しい回答になるわけです。が、これも「具体的にはどうするんだ」という問いに答え切れているとはいえないわけで。
 未訳の近刊、『左派ポピュリズムのために』で、おそらくムフの真価が問われることになるでしょう。どきどきしながら刊行を待っています。