核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

友敵峻別への嫌悪

 ようやく芥川の「将軍」にとりかかる気になったので、ここ数日のシュミット論とどうつながるか、まとめてみます。
 「将軍」の四つの挿話に共通しているのは、友敵峻別への嫌悪ではないかと。決死隊員のぼやきも間諜処刑へのためらいも強盗劇への失笑も・・…最後の「父と子と」だけは、少し解釈に工夫をこらす必要がありそうです。
 「友を利し(あるいは愛し)、敵を害せ(あるいは憎め)」が世の常とはいいつつも、それに反発した人はいました。
 「マタイによる福音書」の「汝の敵を愛せ」は有名ですし(シュミットによれば「公敵は含まない」んだそうですが)、知名度ははるかに劣るものの、プラトン『国家』の第一巻では、「敵であろうと誰であろうと人を害すのは、正義の行いではない」といった議論が出てきます(そしてトラシュマコスによって中断され、深まらないままになります)。
 さらに現代のムフは、敵を「対抗者」とみなせ、といった議論を展開しています。
 それらの論に比べると、芥川の反発はいかにも弱弱しく、情緒的な印象を受けます。しかし、方向としては上記三名に近いと思うのです。芥川がチキンかどうか微妙ですが、断じてホークではありません。
 そして「将軍」に独自性があるとすれば、友敵峻別が人間の本性ではなく、将軍という装置によって兵士たちに人工的に植えつけられるものとしている点ではないかと。
 「四 父と子と」の章を、うまく上記のような議論に結びつけられれば、どうにか論文の形にはなりそうです。