芥川の「将軍」は、将軍という戦争遂行機関を、外部の者たちの眼から見た作品なわけですが。
将軍の内部の論理を説いた理論はないものか、と探して見つかったのがカール・シュミット。
将軍というよりその背後にある国家の交戦権についてではありますが。
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決定する政治的統一体としての国家は巨大な権能を自己に集中した。すなわち、戦争を遂行し、それに伴って公然と人の生命を処分する可能性を。なんとなれば交戦権はこうした処分権をふくむからである。それは、自国民に死地に赴く覚悟と人殺しをする覚悟とを要求し、加えて、敵側の人間を殺すという二重の可能性を意味する。
シュミット「政治的なものの概念」『カール・シュミット著作集Ⅰ』二七〇ページ
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「将軍」の「一」「二」あたりにはあてはまりそうです。言ってる内容は腹立つけど、こういうずけずけ、あけすけな言い方は爽快です。ナチスの理論家でありながら追放されたのも、こうした本音で語り過ぎる癖が災い(幸い?)したのではないでしょうか。
「政治的なものの概念」のその後の展開はというと、他国との戦争を遂行するための国内平和について言及しています。そして国内平和は必然的に「内部の敵」を必要とすると。うまくやれば「将軍」の「三」にもつながりそうです。
明治者にはおなじみの「ロレンツ・フォン・シュタイン」の名前も出てきます。明治政府の要人が大日本帝国憲法制定にあたってこぞって「シュタイン詣で」をしたあの人。「憲法が攻撃されたときは、憲法と法の枠外で、したがって武器の暴力をもって(原文傍点)闘争の決着をつけねばならない」という言が引用されています。