核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

将軍という存在

 将軍という装置。構造。システム。呼び方はまだ決定していませんが、わが「将軍」論は、文字通り将軍とは何かを問う論になりそうです(乃木将軍やN将軍が何者か、ではなく)。
 将軍とは「兵士を率いて国民のために戦う存在」、といったあたりが一般的な認識かと思われます。芥川の作品はそれに異議を唱えていると思うのです。
 では改めて将軍とは何かというと、「自国民を戦わせ、他国民を殺させ、なおかつそれが正義であると自他に信じさせようとする存在」といったあたりが、「将軍」に即した認識ではないかと。
 悪意ある見方と思われるかも知れません。それもすべて国のためではないかと。しかし、その場合の「国」とは何か。大工さんや先生を発狂や惨死に追い込み、紙屋さんに殺人を強いる「国」とは。
 それが近代国民国家というものだから仕方がない、といった一般論に還元すべきではないと思います。近代以前から将軍という存在はあったし、国民国家以後もおそらくはあり続けるでしょう。芥川はそうした将軍という存在を否定しようとしたのではないかと……。
 「否定」と呼ぶには弱いのではないか、とも考えられます。雨が降ったとかマルメロが落ちたとかと同レベルの雑談にすぎないのではないかと。N将軍を批判するのにいちいち西洋人の観点を借りているのも物足りないところです。
 西洋人ごしでなく、伏字にもなっていない将軍への批判はおそらく一か所、自殺直前に写真をとったのは「誰のためにですか?」に集約されるかと思います。
 将軍が存在するのは「誰のためにですか?」と問うているのでしょう。ようやく、鍵になる一行がみつかったようです。「天皇陛下のため」という答えも考えられますが、もう少しグローバルに、システマチックに攻める予定です。