核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

非モデル論は成立するか?

 「将軍」の最近の研究動向では、乃木希典をモデルに特定する必要はないという説が有力であり、私も当初はその線で攻めていたのですが。
 どうも、乃木希典についての最低限の予備知識がないと、この作品は読めないのではないかという気がしてきました。特に下記の2点。

・乃木が白襷隊(決死隊)の発令者(ただし直接指揮者ではない)だったという点。
・乃木が明治天皇没の直後に妻を巻き添えにして殉死した点。

 特に後者の知識がないと、なんでN将軍が写真を残して死んだのか、そして青年がなぜそれに憤っているのか、わけがわからなくなります。
 かすかな記憶をたどってみると、初めて「将軍」を読んだ十代の時は、まったく意味不明でした。伏字の多さや当方の国語力のなさもさることながら。日露戦争ぐらいは知っていたはずですが、乃木について知ったのは、その後司馬遼太郎の「殉死」という小説を読んでからでして。
 で、「将軍」を読むためには芥川と同レベルの知識、つまり奥野論が提示した『乃木大将陣中珍談』との比較が不可欠だというのが現在の考えです。
 「将軍」から『乃木大将陣中珍談』を引くと、残るのは軍人や青年の、西洋的教養にすがっての弱弱しい抗議ぐらいですが(最後の一行のマルメロとはたぶんその隠喩なのでしょう)、それが論文に値するかどうか、見極めたいと思います。今週中には。、