結局、芥川「将軍」は乃木希典への風刺なのか。おとといの問題提起を受けて、現時点での考えを述べてみます。
乃木をモデルにしており、乃木についての予備知識(白襷隊とか殉死とか)を必要とする小説ではあるが、乃木個人への風刺ではない、というのが結論です。
たとえば「鼻」は禅智内供という人物をモデルにしてはいますが、禅智内供への個人攻撃を目的にした小説ではなく、より広く人間一般の問題を扱っている。そのように、「将軍」も乃木という人物をモデルにして、より普遍的な将軍という戦争遂行機関を問題にしている、と見ます。
それを安全地帯からの手ぬるい抵抗と呼ぶのは、それこそ一九二〇年代の言論状況と照らしても不当な批判だと思います。かりに芥川が「将軍」ではなく「天皇」という小説を書いていたら、『改造』誌は発行禁止、当人の作家生命も絶たれていたことでしょう。そこまで一九二二年の作家に要求するのは酷です。現代だって、「天皇」という題の風刺小説を書くのは困難でしょう(高橋源一郎『ヒロヒト』は未読。近日中に読みます)。
では、「将軍」が提起した問題とは何か。芥川の作品に即して言えば、戦争を美化し正当化する機関として、将軍の普遍像を描こうとしている、といったあたりになるかと思います。その機関の存在意義を「誰のためにですか?」と問うたのが「四」の青年の発言であり、この作品のぎりぎりの到達点であると。