核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

グラ虫毛虫

 私はラクラウ+ムフの『民主主義の革命』を買ったことを後悔しつつあります。

 同書はグラムシ由来のヘゲモニー論を現代に生かそうという試みなのですが、そのグラムシの理論というのが問題ありありでして。

 同書「1」~「2」で語られるように、マルクスの予言、「万国のプロレタリアが団結して革命を起こし、理想の社会を作る」というのは、これっっぽっちも当たらなかったわけです。まともな人間ならマルクスに見切りをつけるところですが、まともでないグラムシはプロレタリアのほうに見切りをつけました。マルクス主義以外の人々と「節合」する「陣地戦」で、「ヘゲモニー」を獲得することで、強引に予言を実現しようとしたわけです。当然うまくいかず、イタリアのレーニンになろうとしたグラムシは、ムッソリーニ政権に逮捕されて獄中で死んでいきました。ムッソリーニを褒める気はありませんが、グラムシに同情もできません。

 (2023・3・26追記 獄中死ではなかったので、そこだけ訂正します)

 その現代版が『民主主義の革命』の「3」~「4」。平和運動とかフェミニズムとかLGBT運動とかいった、マルクスとは本来縁もゆかりもない運動と「節合」して大きくなることで、ヘゲモニー(覇権)を握ろうという、ダメな新興宗教が文化系サークルを隠れ蓑にするような手口です。同書の序文は「ポスト・マルクス主義」を掲げていますが、グラムシ時代のマルクス主義と、そのいやしさで本質的に大差ありません。

 亡きラクラウに罪をかぶせるわけではありませんが、ムフの単著と読み比べる限り、『民主主義の革命』はラクラウ要素が勝った本のようです。私としてはムフ-ラクラウ(ハイフンではなくマイナス)にしか期待できません。