核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

山本圭『現代民主主義 指導者論から熟議、ポピュリズムまで』(中公新書 二〇二一) その2

 ラクラウ+ムフの『民主主義の革命』という本はちょうど一年前に読んだのですが、後半、「ヘゲモニー」とか「節合」という概念が腑に落ちず、放置していました。

 このたび山本著を入手したことで、少し先に進めそうです。

 

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 グラムシにとってヘゲモニーとは、社会内の様々な階級やセクターから合意を調達し、みずからの影響力を浸透させることであった。ラクラウとムフはこれを転用し、ヘゲモニーを、社会空間において不安定化した諸要素を等価性の連鎖へと節合していくことと理解した。言い換えれば、ヘゲモニーによって、これまで関係のなかった集団やセクターを自陣営に引き込んで、新しい連帯関係を構築するのだ。

 山本圭『現代民主主義 指導者論から熟議、ポピュリズムまで』二〇五頁

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 といった概説をもとに、『民主主義の革命』を読み返してみると。

 『マルクス屋』という看板では人が寄り付かなくなったから(『民主主義の革命』「1」~「2」)、「LGBTはじめました」とか、「反原発も扱います」といった、人当たりのいい張り紙をぺたぺたと「節合」することで、新たなお客を引き込もうという、場末のまずい飲食店のような生存戦略。そう理解すると、少なくとも『民主主義の革命』の「4」はすらすらと読めてきます。

 『民主主義の革命』「4」の三六〇頁には平和運動についての記述もありますが、それが上記のような「冷やし中華はじめました」的節合だとしたら、同書を評価するわけにはいきません。マルクス主義の隠れ蓑に平和主義を利用されるのはもうたくさんです。