核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ある一流大学の方の博士論文要旨を読んでいたら

 ラクラウとムフは「マルクス自身と従来のマルクス主義を混同している」、との批判がありました。

 よくある言い回しです。こうした説のバリエーションとして、「マルクスは自分がマルクス主義者ではないと称していた」とか、「エンゲルスに改変されたマルクスと、マルクス自身は違う」とか、「小林秀雄マルクス主義者を批判したが、マルクス自身の悟達は認めていたところがすごい」とか、「若きマルクスと後期マルクスは違う」とかいうのもあるのですが。

 そういうの、もうやめにしませんか?

 マルクスの膨大な書き物は、素人の私が見ても前後矛盾(弁証法的な矛盾ではなく、つじつまが合わないほうの矛盾です)に満ちていまして。それこそいわゆる「マルクス主義」に反するものもいくつも出てくるわけです。

 私に言わせれば、それはマルクス自身の思考の無秩序未整理を示すものにすぎず、例えばたまたま『資本論』に一行だけ「自然の搾取」と出てきたからといって、マルクスをエコロジスト扱いするのは後出しじゃんけんだと思うのです。

 最近ではMEGAプロジェクトとかいって、マルクスエンゲルスの文書すべてを解読する計画もあるようですが………。むかし流行った『聖書の暗号』、聖書を縦読みとばし読みして、現代の事件を予言してたことにするやつを連想させます。