核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「記憶」ではなく「記録」に基づく議論を。

 古新聞古雑誌をあさるしか能がないのかこいつは、という想定される批判に対して、あらかじめ弁明しておきます。
 人間の記憶というものはあてにならないものです。かつて熱烈に原子力発電を支持していた大江健三郎が、まるでずっと前から反対派だったような顔をしても、誰も疑問に思いませんでした。その大江の中国礼賛に同意していた石原慎太郎が、まるで昔から対中国強硬派だったようにふるまっても、やはり誰も疑問を抱かなかったようです。
 私より年輩の、彼らの「若い日本の会」時代を知っているはずの方々もです。
 「記憶」というのはかくも頼りないものです。だから私は議論の際には可能な限り、「記録」を提示することにしているのです。