ある座談会、「怒れる若者たち」(『文學界』 1959(昭和34)年10月)では、大江健三郎ははっきりと、「ぼくは日本を中共のような国にしたいと思っている」と発言していますが、石原慎太郎はそれについて何の異議も唱えていません。
そして別の対談、「慎太郎、大江ルポを批判する」(『毎日グラフ』1961(昭和36)年10月8日)。題名に反して、明確な「批判」はほとんどみられず、馴れ合いに終始しています。
「大江 ”これぞ戦後青年の代表株!”と推薦したいのは、原研の若い科学者(9月3日号)ね」で始まる(そのインタビューは当ブログでも紹介しました)、「パターナイゼーション」という章を引用します。
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大江 中国へ行ったとき、そういう(引用者注 まとまったイメージを与える)青年が多いという印象だった。中国では未来がちゃんとイメージにとらえられるからね。
(略 中国のパターナイズ(画一化)に疑問をはさみつつも)
石原 そうだろうなあ。やはり彼らは、そういう意味での連帯感をもっているんだろうなあ。そういうものは僕ら日本人には薄いなあ。僕も中国へは行ってみたいんですよ。
(20ページ)
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そういう国を理想としていたような政治家に、国政に参与してほしいとは思いません。