「小さな王国」の掲載誌に、堺利彦らの売文社が関与していた件について。
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(引用者注 一九一七(大正六)年)九月にはアメリカから帰った急進的自由主義者の内藤民治(ないとうたみじ)が、当時の二大雑誌であった『太陽』と『中央公論』に対抗して『中外』を発刊したが、これには毎月かなりの原稿が売文社から供給され、しかも堺らが半覆面の参謀となった。
(今井清一 『日本の歴史 23 大正デモクラシー』中央公論社 1966 169~170ページ)
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……「半覆面の参謀」って何だと、堺利彦の伝記『パンとペン』を読むと、より具体的に書いてありました。
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売文社はこの時期(引用者注 一九一七年頃)、内藤民治が主宰する雑誌『中外』を手伝っていた。山川(引用者注 均)によれば、『中外』の原稿のかなりの部分は毎号売文社で供給し、創刊からしばらくの間、「編集主任」の署名の文章はすべて堺が書き、「主幹」の署名の文章は山川が書いていたという。
(黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 講談社 2010 332ページ)
ちなみに、堺は貝塚渋六の名前で『中外』に「猫の百日咳」と題して、軽妙なエッセイや創作を連載している。
(同書334ページ)
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……『中外』は機会がありしだい一気読みする予定ですので、堺利彦の「編集主任」と「貝塚渋六」は特に気に留めておきます。「小さな王国」への言及があればもうけものです。