核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

アラン 『プロポ Ⅰ』(山崎庸一郎訳 みすず書房 2000)より「地上に平和を」(1923)

 「平和は明日にも可能である。明日にも容易である」(314ページ)。アランの文章には皮肉や遠回しな表現がやたら多いのですが、少なくともこの「地上に平和を」はアイロニーではありません。アランは切実に、個人レベルの道徳心による平和を訴えているのです。
 
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 友よ、きみたちのひとりひとりは、平和をつくりだす王のような力を持っているのだ。
 しかしながら、この力(引用者注 個人レベルでの平和をつくりだす力)を自覚することがぜひ必要である。万人の世論を敵にまわしては戦争は不可能と考えられるからだ。情念は巨大な社会組織をつくり出す。情念にとらえられたすべての人間が和らげば、この組織はつくられようがなくなる。途方もない出来事である戦争も、数多くの受諾からつくられるのだから。人間たちの世界のなかでわたしが目にしている新しいことは、彼らがこの無言の人民投票を理解しはじめたということだ。市民のこの大いなる力、それをいまや試みなければならない。明日にではない。今日にもだ。
                                                            一九二三年二月八日
 (315~316ページ)
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 いつやるか。今でしょ・・・まぜっかえすつもりはありませんけど、第一次世界大戦(アランも高齢ながら志願して従軍していました)の終結からたった五年後にしては、えらく楽観的な印象を受けます。世界史の本によると1923年はルール占領(賠償金の代りに、ドイツの工業地帯をフランス軍が占領した事件)の年であり、必ずしも平和ムード一色ではなかったようです。
 ただ、国際連盟のような大国の圧力による平和ではなく、個人の道徳心による平和を、というアランの主張の方向には、私は賛成です。