核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「平和主義」という語の初出について

 松元雅和氏の『平和主義とは何か』(中公新書 2013)は近来まれに見る名著なのですが、一箇所だけ重箱の隅をつつかせていただきます。
 「語源的に見ると、「平和主義」(パシフィズム)との言葉が生まれたのは意外に新しく、今から一一〇年ほど前、一九〇一年の第一〇回世界平和会議(グラスゴー)において、E・アルノーが仏語で用いたのが最初であるらしい(Cortright,Peace,pp. 8-9)。ただし、これはあくまでも用語の問題であり、それ以前にも平和主義にあたる思想や実践は多様に存在した」(7ページ)とあります。以下は、日本語での「平和主義」という語の初出です。
 以前にもブログで取り上げました、1884(明治17)年刊の矢野龍渓の小説『経国美談』後篇に、「平和主義を広めて之を邦国相互の交際に及ぼし希臘全土に於て永く暴力の争を絶たん」との一節があります(第十三回 原文は漢字カタカナ交じり)。ほぼ、現代日本語でいう「平和主義」と同義語とみなせるかと思います。これは国会図書館所蔵の初版本(電子化済み)でもそのままであることは、以前の調査で確認しました。
 明治人はすごかったとか、そういうお国自慢的な話をしたいわけではありません。ただ、『経国美談』は大筋では古代ギリシアの史実を題材にしているにも関わらず、上記の平和主義の主張(および、主張者のアンタルキダス自体)だけは、龍渓の完全な創作であることは付け加えておきます。
 残念なことに、『経国美談』後篇は既存の日本文学全集のほとんどに収録されておらず、ネット上の近代デジタルライブラリーで読む方が早いという悲惨な状況にあります。
 法学・政治学の専門家である松元氏のような方にこそ、『経国美談』を読んでいただけるとありがたいと、私は切実に思うのです。こちらでも、『平和主義とは何か』に挙げられた文献はかたっぱしから読んでいきますので。
 
 (・・・E・アルノーって、まさか第四反論の人の子孫?んなわけないか)
 
 2023・5・18追記 本日の記事にも書きましたが、板垣退助立案・植木枝盛撰『通俗無上政法論』(一八八三(明治一六)年)に、「平和主義」の語が出てくるのを確認しました(「平和」の横に「おだやか」のふりがながあり、「へいわしゅぎ」とは読まないのかも知れませんが)。『経国美談』が初出ではなかったことを訂正しておきます。