軍国主義というものはしばしば軍靴の響きとか、部下を殴る上官とか、反政府主義者を連行していく憲兵という風に、恐ろしい顔の面を強調されがちでして(実際その通りなのですが)、「将軍」はN将軍の人懐こい眼、涙さえ流し「善人なのだ」と部下に思わせる面をも描いています。
実際にはちっとも優しくも善人でもないことは、捕虜処刑のくだりで明らかでして、いうなればヤクザの手口なわけです。子分がさんざん暴力的におどしつけた後に、兄貴分が「まあまあ、そのへんにしとけや」と出てきて話をつけるというあれ。善良で無力な人間はそれにほだされてしまい、有難がって言いなりになってしまうわけです。
ありがちな話と思われるかも知れませんが、『戦争に対する戦争』(一九二八。たびたび悪い例に出してすみません)なんかを読む限りでは、軍国主義の恐ろしい顔は描いても、優しい顔は描けていないようです。
今後復活しかねない軍国主義に抗するためには、その多重性への分析が不可欠であると私は思います。