核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

宮本顕治「敗北の文学」中の「将軍」評

 宮本顕治「敗北の文学―芥川龍之介氏の文学について」(『改造』一九二九(昭和四)年八月号)より。

   ※
 「将軍」は? この将軍は、惨めにも手痛く嘲笑され諷刺されてゐる。この「長者らしい」将軍の軍服を剥ぎ取りながら、作者は無智で残忍で打算的な将軍の裸体に冷笑的な嫌悪を示してゐる。軍神の封建的な非人間性に顰蹙してゐる。それはいかにも巧みな抉出的な手法に終始してゐる。そして私は、作者のこの手際に喝采を与へようとしたが、やつぱり次の瞬間、それを想い止まらなければならなかつた。何故か。私はこの作品の全体的な構図に根本的な欠陥を発見させられたからだ。将軍と対蹠的に描かれた軍参謀に、スタンダール箴言ユーゴーの歌を想起さしてゐる内に、作者は彼も亦軍人(引用者注 原文は傍点)であることを忘れてゐる。そしてそれはモティーフに小ブルジョア的な限界性を持つてゐるからだ。
 (二三五ページ)
   ※

 ……いかにもマルクス主義的な裁断批評ではありますが、小林秀雄の芥川評に比べればまだしも好意的です。
 しかし、こういう人たちはなぜ、マルクス主義の「非人間性」や「限界」に無自覚なのでしょう。
 
 2019・2・26追記 (二三五ページ)とあるのは『改造』ではなく、収録された本のページ数でした。いずれ『改造』の原文を見て正しいページ数に直します)