核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

進化論の安直な政治的利用の一例

 自民党の公報まんがが進化論を改憲論に都合よく利用していることについて、各方面から非難の声があがっています。

 私も、進化論の安易な政治的利用には反対です。すでに明治時代からそうした例はあり、私は博士論文で批判的に引用してきました。以下はその典型的な例。

 

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 進化論から見れば社会改良も矢張り自己の属する人種の維持繁栄を目的とすべきものである。世の中には戦争といふものを全廃したいとか、文明が進めば世界中が一国になつて仕舞ふとかいふ様な考を持つて居る人もあるが、此等は生物学上到底出来ぬことで、利害の相反する団体が並び存して居る以上は其間に或る種類の戦争が起るのは決して避けることは出来ぬ。(略)
 尚人道を唱へたり、人権を重んずるとか、人格を尊ぶとかいうて、紙上の空論を基とした誤つた説の出ることが屡(しばしば)ある。例へば死刑を全廃すべしといふ如きは即ち其類で、人種維持の点から見れば亳も根拠のない論であるのみならず、明に有害なものである。雑草を刈り取らねば庭園の花が枯れて仕舞ふ通り、有害な分子を除くことは人種の進歩改良に最も必要なことで、之を廃しては到底改良の実は挙げられぬ。単に人種維持の上からいへば、尚一層死刑を盛にして、再三刑罰を加へても、改心せぬ様な悪人は容赦なく除いて仕舞うた方が遥に利益である。
 丘浅次郎 『進化論講話』(一九〇四) 「第十九章 四 進化論と社会と」

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 ……日露戦争直前の言説です。「戦争は避けられぬ」「死刑を盛んに」したい政治家にとっては真に都合のいい説といえるでしょう。なお、村井弦斎や木下尚江はそれぞれ別の立場からこうした社会進化論に批判的であったことも、この博士論文第五章には書いておきました。