核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

伊勢田哲治「フィクションはいかにして理由つきの主張を行うか」(Nagoya Journal of Philosophy Vol. 15 (2021), pp. 14-32)

 私の今の問題意識と直接に関わるご論文です。

 虚構作品はいかにして、たとえば「戦争はよくない」といった主張を行うか(そもそも行えるか)という問題。私も博士論文の序論でフィクション論めいたものを展開したことはありますが、深入りはしませんでした。今こそ深入りすべき時のようです。

 伊勢田論が主に扱っているのは、反戦小説ではなく反戦(?)映画、「スターシップ・トゥルーパーズ」。なぜ反戦に(?)がつくのかというと、上映時には好戦的な映画ではないかと批判され、監督がそれに反論したことがあったそうです。

 反戦小説は地の文で作者や語り手がナマの反戦論を展開しやすいわけですが、映画はそれがやりづらいメディアです(チャップリンの『独裁者』のように、主人公が熱く演説する映画もありますが)。で、議論の余地が生ずると。

 とはいえ、反戦小説や反戦詩、反戦劇と言われる作品でも解釈の揺れが生じる場面はあり(たとえば「君死にたまふこと勿れ」を、私は反戦詩とは認めません)、伊勢田論の応用可能性は広大です。

 今はちょっと集中力が切れているので(論文自体は決して難解ではなく、私のような哲学素人でもついていけそうです)、読める時に熟読し、自分なりのまとめと感想を書きたいと思います。