核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

楊琇媚「武者小路実篤における戦争認識の本質―『ある青年の夢』と『大東亜戦争私感』を中心に」(『第28回国際日本文学研究集会会議録』2005年3月)

 論文ではなく学会発表ですが、ネット上でレジュメと質疑を読むことが出来ました。

 反戦劇『ある青年の夢』と、戦争協力の書『大東亜戦争私感』の戦争認識は、実はそれほど変化していないのではないか、という問題提起です。
 『ある青年の夢』については、主人公の青年(A)も、他の登場人物(亡霊五)も、わずかながら自衛のための戦争を認めてしまう立場をとっており、絶対的非戦論者・植民地否定論者とはいえないこと。
 そして『大東亜戦争私感』では、同戦争を自己防衛のための戦争とみなしていること。平和への祈念・植民地否定(ただし欧米限定)といった要素もわずかに残っていること。
 以上の理由から、楊氏は、『ある青年の夢』と『大東亜戦争私感』の戦争認識は断絶したものではなく、「ほとんど変化が見られない」と結論します。

 私自身は断絶説(『ある青年の夢』の非戦論と、『大東亜戦争私感』の主戦論との間には何らかの断絶があった説)をとるわけですが、楊氏の論には説得力を感じました。
 論文や記事を書く前に読んでおくべき論でした。