核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

伊佐秀雄『尾崎行雄』(吉川弘文館 1987)

 人物叢書新装版の一冊。憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄の伝記です。
 青年時代、西南戦争の少し前には「討薩論」を曙新聞に投稿するなど、むしろ正戦論者だった尾崎を平和主義者に変えたのは、第一次大戦後の欧米視察でした。

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 尾崎は漸く青年に達した頃「尚武論」を書き、やや長じて「征清論」を世に問うなど、武を養うことは国民精神の高揚と国家の発展に必要であると考えていた。後に日露戦争を前にして伊藤とともに非戦論の立場を執ったけれども、それは必ずしも戦争そのものを否定したためではなく、世界最大の陸軍国と戦っては勝目がないという打算的観点からであった。その証拠には大隈内閣の法相時代に迎えた欧州戦争勃発の際には連合国軍が負けるはずはないと見たのでこの側への積極的な参戦論者であった。
 かく尾崎は戦争という問題も常に国家本意に考え、国家にとって利益であると考えれば主戦論、不利益と見れば非戦論という立場をとった。ところが渡欧して大戦の跡を訪ねるに及んで、国家的立場から戦争を考える従来の世界観に一大修正を加え、完全な国際主義者となった。
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 こうして尾崎は軍備縮小・世界平和論者となり、度々の弾圧を経つつも、それは1954年に95歳で亡くなるまで貫かれるのでした(「97歳」は数え年でした。訂正してお詫びします)。