核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

吉岡公美子「選挙と仙居の間―新聞小説と雑報の言説」(『立命館言語文化研究』1995年7月 89号)

 まさか福地桜痴の『仙居の夢』(1890)に先行研究があろうとは。Ciniiや国文学論文検索には引っかからなかったのです。博士論文を大量印刷する前に気づいたのが幸いです。
 
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/7-1/RitsIILCS_7.1pp.89-98Yoshioka.pdf#search=';仙居 選挙'

 第一回衆議院選挙の過熱ぶりを「熱病」や「祭礼」にたとえる、『大阪朝日新聞』『日本』の記事を引用し(これらは私もはじめて見ました)、新聞小説『仙居の夢』をそれらの影響下にあるとする論旨です。
 新資料はありがたいのですが、正直なところ、吉岡氏は同作品を「諷刺小説」としてしか評価していないのではないか、という印象を受けました。社会問題をおもしろおかしく茶化すだけではなく、実現可能な解決策を提案するのが福地桜痴の本領なのですが、この論文ではその『仙居の夢』後半部分にまったくふれられていません。失礼ながら、本当に最後まで読んだのであれば、上記のような結論は出ないのではないかと思います。
 「小説の言説は現実を参照しつつも虚構世界を創造生成してゆく、という神話は力を失う」と、「おわりに」にありますが、私に言わせればそういうポストモダンぶった虚構観こそ神話、文学研究をここまで衰退させた悪しき迷信です。
 1995年に書かれた文章が、1890年に書かれた文章より「新しい」とは限らない。その一例です。

 (菅原 健史)

 

 (2020・10・27追記 偉そうなことを書いてしまいましたが、私の「仙居の夢」論はボツでした。戦わずして負けた形です)