好きなだけ、文字に色がつけられる。ブログという媒体が学術論文より優れている点の一つです。
とはいうものの、明治文学研究ではあまり使い道はありません。
村井弦斎の「写真術」(『都新聞』 1894(明治27)年)は、色まで映る写真を日本人が発明する物語なのですが、本文、さし絵共に最後まで白黒のままです。たぶん弦斎としては最終回だけでもカラーにしたかったけど、『都新聞』では新参者ゆえ果たせなかったのではないでしょうか。
約10年後。幸徳秋水や堺利彦が日露戦争に反対して出した、週刊『平民新聞』の最終号は、全ページ赤刷りになっています。その後継誌『直言』の婦人号では、全ページ緑刷り。前者はマルクスの故事に由来するそうですけど、婦人=緑というのはどこから出たのでしょう。両誌ともに木下尚江は深くかかわっていますが、全集を読んでも理由は判明しませんでした。
タイポグラフィ的なものは宮武外骨の『滑稽新聞』にもあるわけですが、カラーを効果的に使用した文学作品は、明治期にはないようです。コストの都合とか、作家と出版社の力関係とか、いろいろあったのでしょう。