核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

フロイト「戦争はなぜに」(一九三二年九月)

 アインシュタイン側の書簡は『フロイト全集』には収録されていないのですが、フロイト側の返答から察するに、

 

 「『戦争はなぜに』なくならないのか?」

 

 という問いだったと思われます。しかしフロイトは、この問いに正面から答えてはいません。フロイト側の返答に書かれているのは、

 

 「『戦争はなぜに』なくさなければならないのか?」

 

 です。以下にフロイトの文章からその例を。

 

   ※

 なぜ私たちは戦争に対してこれほど憤慨するのでしょうか。あなたも私も、その他、多くの人々もそうですが、なぜ私たちは人生の数ある辛い窮境の何かほかのひとつのように、戦争を耐え忍ばないのでしょうか。そもそも戦争というものは自然の道理に適い、生物学的にも歴とした基礎を持ち、実際面ではほとんど避けられそうにありません。

 フロイト「戦争はなぜに」(『フロイト全集20』岩波書店 二〇一一)二七〇頁

   ※

 

 アインシュタインもびっくりしたことでしょう。「戦争をなくそう」という手紙を書いたら、「むしろ戦争に耐えよう」という返事が返ってきたのですから。

 フロイト第一次世界大戦下の「戦争と死についての時評」でも上記引用と同じ、「戦争は廃絶できないから耐えよう」論を展開しており、フロイトの信念だったようです。当時だって本物の絶対平和主義者は何人もいたでしょうに、なぜよりによってフロイトを対話相手に選んでしまったのか、アインシュタインの見る目を疑います。

 後半では「私たち平和主義者」には「戦争に耐えることなど、私たちにはもはやそもそもできなくなっています」(二七二頁)なんて書いてますが、フロイトに平和主義者を名乗る資格があるものか、疑わしいものです。戦争神経症の治療(そして戦場に送り返す行為)にフロイトが積極的だったのは、前にもこのブログで書きました。

 もちろんフロイト自身は、勇猛果敢な戦士などではなく、自らの身が戦争に巻き込まれた時には「戦争を耐え忍」んだりもしていません。ナチスドイツがオーストリアを侵略した一九三八年には、祖国を捨てて亡命しています。高齢とか病気とか、家族や知人のためとか事情はあるでしょうが、言行不一致という気はします。

 フロイト「戦争はなぜに」の日付は一九三二年九月。ドイツでナチスが政権を握るちょっと前です。その段階でまじめに考え、戦争をなくす答えを出していれば。国際連盟が暴力手段を持たないことを小馬鹿にした調子で語るのではなく、暴力によらずして暴力を止める方法をまじめに考えていれば。そもそも、アインシュタインがもっと本物の平和主義者を対話相手に選んでいれば。その後の歴史はもうちょっとましになったかと思うのです。

 「症例ジークムント・F」とまでは言いませんが、どうもフロイトの戦争観や世界観は、二一世紀にそのまま受け入れてはいけないものがあるようです。今回借りたフロイト全集には興味深い症例(一応、フロイトが分析者側の症例です)もあったので、併せて読み込みたいと思います。