核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

フロイト「女性同性愛の一事例の心的成因について」(『フロイト全集17』) その2

 そもそも、同性愛を治療すべき病ととらえるフロイトの姿勢が前時代的だという批判はあるかと思いますが、なにせ一九二〇年の話なので。私はそういう方向からフロイトを古いと批判することはしません。同じ一九二〇年の戦争神経者治療論を批判したのは、その時点ですでに戦争そのものを悪だという言説が存在するからです。

 フロイトは、

 

 「身体上の性的特徴(肉体的両性具有)ー心の性的特徴(男性的/女性的姿勢)ー対象選択の種類」(二七〇頁)

 

 の三つを、「ある程度は独立に変化」(同)するものだとみなしています。当時の素人は、第一と第三を短絡的に結びつけがちだったそうなので、フロイトは当時としては進歩的だったのではないでしょうか。『ジェンダー・トラブル』の作者なんかに言わせれば、これでも否定されるべきなのかも知れませんが。

 当時としては進歩的かも知れませんが、フロイトの分析が功を奏したとはいえませんでした。どうも彼女が、「男性への徹底した拒絶という姿勢を私に転移した」と気づき、フロイトは治療を打ち切ります。

 

   ※

 私は治療を打ち切り、もし治療の試みに価値をおくのであれば、女医のもとで続行するよう忠告した。そうこうする間に、少女は父親に、少なくともあの「婦人」とのつき合いはもうやめる、と約束していた。動機が見え見えの私の忠告が聞き入れられることになるのかどうかは、私の知るところではない。(二六一~二六二頁)

   ※

 

 なんかあまり成功したようには見えませんけど、「精神分析の使命は、同性愛の問題を解決することにあるのではない」(二七〇頁)んだそうです。じゃあなぜ引き受けたんだフロイト。女医のもとで分析を続行すれば、「婦人」への愛が女医に転移するってもんでもないだろうに。

 この件はこれで落着したわけですが、この少女、フロイト精神分析学の土台を揺るがしかねないことを、分析中にやってまして。そっちの話のほうが面白そうなので、次回も続きを書きます。