核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

無神論者クリティアスと、フロイト「ある錯覚の未来」・「文化の中の居心地悪さ」

 核通は ネタが尽きると クリティアス (だいぶ前に書いた心の川柳)

 

 古代アテネ無神論者クリティアスについては、何度か扱ってきました。

 無秩序な原始時代、人間は公然の暴力を禁止するために法律を発明し、さらにひそかな悪事をも禁止するために、神々という虚偽を発明した、との言が伝わっています。

 プラトンの対話編にも何度か出て来ますし(アトランティス伝説で有名な『クリティアス』の主人公は、同名の祖父のようです)、矢野龍渓の『経国美談』前篇にもちょいと挿話が出てきます。

 

 (2022・10・21追記 『経国美談』の冒頭を読み返したところ、「三十奸党」の名はあるもののクリティアスの名前は出て来ませんでした。訂正してお詫びします)

 

 そのクリティアス、最晩年には祖国アテネの敗戦に乗じて、戦勝国スパルタの庇護下で「三十人政権」とよばれる独裁政権の首領となり、逆らう市民の虐殺を重ねた末、民衆の反乱によって非業の死をとげています。

 なんでクリティアスのことを思い出したかというと、フロイトの「ある錯覚の未来」(昔の訳では「幻想の未来」でした)と、「文化の中の居心地悪さ」(これも昔は「文化への不満」)を読んでいて、クリティアスに似た宗教否定論に出会いまして。

 宗教をはじめとする「文化」は、すべて人間が無意識の欲動を抑制するためにねつ造したものだとの趣旨。架空の相手との対話という形でソフトにしてはいますが、全世界の宗教信者を敵に回しかねない議論です。作家のロマン・ロランから抗議が来たそうです。フロイトはロランのいう宗教感情も幼児期の遺物だとか言ってますが。

 無神論者のはしくれとしては、はじめてフロイトを読んで腑に落ちたわけですが、フロイトが指し示す未来像(あるいは、未来像の欠如)には賛同できません。あさってには図書館に返す本なので、明日中に読み込んでおこうと思います。