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去んぬる治承、養和の頃よりして、諸国七道の人民百姓等(日本全国の人民。脚注より)、或は平家の為に悩まされ、或は源氏の為に亡ぼさる。家竈を捨てて山林に交り、春は東作(耕作。脚注より)の思いを忘れ、秋は西收(収穫。脚注より)の営みにも及ばず。
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・・・治承・養和(西暦1177~1182)の一連の源平合戦を、民衆への災厄として捉えた、数少ない一節です。
戦乱の世を厭う文章は他にも結構あるのですが、そのほとんどは仏門に帰依して来世の平和を願うたぐいであり、現世での戦争を阻止する方向に発展しなかったのは惜しまれるところです。