核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

今井正之助「「扇の的」考」(『日本文学』2014年5月号)

 「―「とし五十ばかりなる男」の射殺をめぐって―」との副題があります。与一の矢のごとく、私の問題意識をピンポイントに射ぬいてくれた論文です。
 まず国語教科書での取り上げられ方から入り、『平家物語』諸本の異同を比較した上で(私が前に引用したのは、流布本系の講談社文庫版でした)、あの舞う五十男(以下、「男」と略す)は舟に隠れていた、対義経用狙撃手の可能性が高いこと。また義経による「男」の射殺命令および与一による実行は、その行為が彼らの名誉・誇りを重んじる価値観に反したからだと結論しています。
 後者については、注の(5)に実にわかりやすいたとえが用いられています。

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 扇が舞い散った所とは、たとえばサッカーの得点が入った瞬間のゴールになぞらえることができようか。得点をあげた選手が得意の身振りをする光景をみかけるが、観客の一人がゴール前に突然出現し、当の選手をさしおいて、はげしくダンスを踊ったら、その選手は”ああ、こんなにも俺の得点を喜んでくれているのだ”とうれしい気持ちでいっぱいになるであろうか。
 (63ページ)
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 …絶妙なたとえですが、異論はありますので続けて書きます。諸本を検討している余裕はなかったので、今井論の前提は認めた上で。今井論というより義経に対しての反論です。