この日露戦争下に非戦論など説いている場合ではない、文士といえども国民の敵愾心(てきがいしん)を煽る文を書かねばならぬ、といった内容でした(コピーはとれなかったので大意)。
村井弦斎の戦争論には、まだ玄米食で脚気患者を減らそうとか、軍人の家族をいたわろうとか、敵の捕虜は国際法にのっとって待遇しようとかいった人道的要素があるのですが、麗水のこの文にはそれさえもありませんでした。
麗水とて、戦争の悲惨さを知らないわけではありません。従軍記者としてずいぶん凄惨な光景も見ているはずなのですが、彼の場合はその体験が「こういう悲惨な側に立たないためには戦争に勝たねばならぬ」という結論に行ってしまうのです。悲惨な戦争体験が反戦に結びつくとは限らない例です。