核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

遅塚麗水「文士の戦争観」(『文芸倶楽部』1904(明治37)年10月1日)

 この日露戦争下に非戦論など説いている場合ではない、文士といえども国民の敵愾心(てきがいしん)を煽る文を書かねばならぬ、といった内容でした(コピーはとれなかったので大意)。
 村井弦斎戦争論には、まだ玄米食脚気患者を減らそうとか、軍人の家族をいたわろうとか、敵の捕虜は国際法にのっとって待遇しようとかいった人道的要素があるのですが、麗水のこの文にはそれさえもありませんでした。
 麗水とて、戦争の悲惨さを知らないわけではありません。従軍記者としてずいぶん凄惨な光景も見ているはずなのですが、彼の場合はその体験が「こういう悲惨な側に立たないためには戦争に勝たねばならぬ」という結論に行ってしまうのです。悲惨な戦争体験が反戦に結びつくとは限らない例です。