核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

遅塚麗水 「支那人」 『政界往来』 1937(昭和12)年12月号

 福地桜痴村井弦斎は晩年になって平和主義に転じたのですが(『女浪人』『小松嶋』)、遅塚麗水についてはそうしたことはなかったようです。この随筆「支那人」を読む限りでは。
 三皇五帝時代の中国を「共和主義」と位置づける冒頭部分はちょっと面白かったのですけど。その後は食人だの中国史の残酷な挿話ばかりを取り上げて(残酷な挿話が多いのは確かですけど)、中国人を本質的に残忍な民族であるかのように語り、以下の結論にたどりつきます。
 「連戦連捷の皇軍は、何処までもこの不埒千万な民族のドセウ骨を叩き直してやらねばならぬ」(122ページ)。
 弁護するわけではありませんが、遅塚麗水は1894(明治27)年~翌年の日清戦争期に従軍記者となり、現地で戦場や民衆生活の悲惨さに強いショックを受けています。しかし、だからといって上記のような結論は、当時のマスコミが好んで使った「膺懲」の論理と変わりません。晩節を汚した、としかいいようがありません。