核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

フィリップ・ショート 『毛沢東 ある人生 下』 理想社 2010(山形浩生・守岡桜訳 原著1999

 まず、大江健三郎が訪中し「理想的にうまくいっている」と讃えた1960(昭和35)年の「大躍進」政策。
 
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 一九五九年と一九六〇年には約二千万人の中国人が餓死し、生まれた子供の数は千五百万人少なかった。弱りすぎた女性たちは子を宿せなかったからだ。一九六一年には、さらに五百万人が餓死した。中国を襲った過去最悪の人災―一八七〇年の大飢饉をも上回る、太平天国の乱よりもひどい人災だった。
 (192ページ。章末注によると、1980年に胡耀邦が公式に認めた餓死者数が二千万人です)
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 毛沢東の独裁による犠牲者はそれだけではありません。
 
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 かれらを肉体的に殲滅しろという指示を直接出したことは、ほとんどなかった。だが毛の支配は、世界のどんな国であれ、史上どんな独裁者よりも多い自国民の死を招いたのだった。
 土地改革の被害者、彼の政治的運動の被害者たち―最も重要なものだけを見ても「反革命弾圧運動」「三反」「五反」、反右翼運動、「右派日和見主義」反対運動、社会主義教育運動、文化大革命、「五六」分子反対運動、「階級隊伍粛清理」―そして大躍進が引き起こした飢餓者たち。これらを超えるだけの被害者数を引き起こしたものは、史上一度しかない。それは第二次世界大戦の死者総数だ。
 それに比べれば、スターリンによる富農粛清や、労働キャンプにおけるロシアインテリゲンツィアの破壊の被害者は、千二百万から千五百万人だ。ヒトラーホロコーストは、その数の半分でしかない。(343ページ)
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 「大躍進」はよかれと思ってやった政策の失敗であり、スターリンヒトラーの殺戮とは別だという弁護もあるかもしれません。しかし、二千万の死者を出しても、毛沢東が真剣に反省し、過失を改めようとした形跡はないのです。
 そういう人物が1960年代には、「ゴダールの一時期の映画でもわかる通り、毛沢東や、かれの文化大革命はファッションとして消費されつつ、みんな本気でそのプロパガンダを信じ」(359ページ 訳者あとがき)という状況にありました。
 (『中国女』は未見。100円レンタルにはないのでいずれ買います)
 そして今日、おそらくは毛沢東の在世中を知らない世代が、デモの旗印に毛沢東を掲げる時代になりつつあります。私は「反中」では決してありませんが、毛沢東の復活を憂慮する者です。