核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『日本文学』1月号特集 リテラシーと向かい合う

 日本文学協会公式サイトより。
 特集の趣旨にぴったりではないけど、「初鮭」論が書けそうな気が。明治30年代のメガネ普及率を調べねば。
 
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1月号特集 リテラシーと向かい合う

   
 人間が「言葉」を持ち、それを書き付ける方法と道具を持った瞬間から「リテラシー」は誕生した、という寓話が成り立つとする。書き付ける「行為」そのものの愉悦と必要性、書き付ける「内容」そのものの豊饒と具体性、それらをもって日本文学の原形態を高らかに唱えたい衝動がわれわれのなかにあることを否定することは難しいであろう。
 その書き付けられた「物」を見ること、読むこと、そして教えることから、日本文学研究があるいは時代ごと、あるいはジャンルごとに細かく、時には大きく枝分かれしているのである。その枝分かれの帰趨するところに、一つの到着点を用意すること、それが本特集号の企図するところである。
 電子媒介によるデータ利用が一般化した現代、書き付けられた紙媒体の「物」のみを、「書物」と呼ぶのはもはや幻想であることは多くの研究者が自覚していよう。にもかかわらず、スクロールさせるのではなく、本のようにページをめくって活字を追いかける動作など、我々の読書行為は、「書物」という形態の拘束から抜け出せない。また、一方では、キーボードで「書く」という動作は、我々の執筆状況を大きく変化させている。
 「書」の「物」は、時代により、論者により、とらえ方が多様にならざるを得ないが、単なる「文化交流」「享受」「伝授」「テキスト」…など従来の概念ではもはや現状を充分には把握できないであろう。リテラシーと真剣に向かい合うことが、その書物のあり方と人間の営みとの新しいマリアージュを見せてくれるのではないだろうか。
 とはいえ、その一方で、ここまで述べてきた「リテラシー」概念自体を原理的に問い直していく思考も求められているかもしれない。多様な視点からの意欲的な論考を期待したい。

      記

  一、締切 2012年10月20日
  一、枚数 35枚(400字詰)程度
『日本文学』編集委員会