核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

山本弘「ロストワールドからの脱出」(旧『ウォーロック』誌39号)

 多方面にわたる山本弘氏の仕事の中でも、かなり初期の忘れがたいゲームブックを一本。

 「野生の少女や恐竜、黄金のジェット機が登場する秘境冒険物」と、ウィキペディアの記事にありました。後のトンデモ本シリーズの造詣にも通じるような、恐竜が実在する地から、少女と共に脱出する短編ゲームブックです。

 結末が凝ってて、恐竜がいた証拠(ビデオ映像とか)を文明世界に持ち帰らないと、トンデモさん呼ばわりされて不遇の人になってしまう仕掛けになっていました。

 これ書きながら、むかしテレビの洋画劇場で観た『極底探検船ポーラーボーラ』という1977年の恐竜映画を思い出し、それも検索してみました。ストーリーは全然違うのですが、これも現代人が恐竜のいる世界に赴き、立ち向かう話です。こういう雰囲気の物語には、血を沸かせる何かがあるようです。

SF作家の山本弘氏がお亡くなりになりました

 SFのみならず、TRPGゲームブック界への貢献、と学会初代会長と、各方面で活躍なさったお方でした。

 旧ウォーロック誌の記事では、文章だけでなく、『放課後のサイコロキネシス』という、入門まんがも記憶に残っています。

 山本氏の数々の著述には、あれこれと笑い、学び、考えさせられました。

 

方向性はつかめたかも

 小川未明「野ばら」中の、「敵、味方というような考えをもった人だと困ります」の一節について、考え抜き、敵味方ではない関係のあり方を提示すること。

 それが文学研究者にできる、最大限の戦争の止め方であると考えております。

 飛んでくるミサイルをはね返すのは現代の技術では無理だし、ましてや文学研究者にはとうてい無理です。文学研究者にできるのは、人間どうしの関係についての考察です。できるところから始めなければ。

 現時点での構想は、「敵を憎まず、敵を愛さず」です。

構想、練り直し

 もともとは、シュミットの友敵理論の文脈で、小川未明の「野ばら」を読み直す、といった論を予定していたのですが、根本的に練り直すことにします。

 オルテガ『大衆の反逆』もデジタルコレクションの古い訳で読め、確かに「敵との共存」という自由主義の理想は提示されていたのですが、それだけで「野ばら」論を書くのはきつそうです。明日の日曜日で、論を一から立て直すことにします。

 小川未明「野ばら」は1922年。

 シュミット『政治的なものの概念』の初出論文が1927年。

 オルテガ『大衆の反逆』は1929年。

 時期的にはそんなに差はないのですが、「敵、味方」をめぐる思想は三者三様です。

 私はもちろん、「野ばら」に示された思想を、最も貴いと考えております。

 

図書館行けず

 デジタルコレクションで、古い訳の『大衆の反逆』が読めるので、そちらを先に読んでみます。

 カール・シュミットからは、一時離れることにします。難解だからというよりも、シュミットの思想は奇怪に見えるのです。平和主義・自由主義を掲げる者の眼から見ると。