核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」、再読しました

 国会図書館デジタルコレクションで検索したら、SFマガジン・ザ・ベストNO2(1964)収録の同短編が出てきました。何度読んでも戦慄の傑作短編です。夜空の、向こうには♪っと。。

 私は40年以上前、『小学〇年生』だか『〇年の科学』といった学習雑誌で、登場人物の名前を日本人に変えた子供向け翻案を読んだ記憶があります。語り手(フェッセンデンじゃないほうの天文学者)が「やすし」と呼びかけていたのを覚えています。 

山本弘『詩羽のいる街』 貨幣からの自由

 故・山本弘の多岐にわたる仕事は、前回の小論で語り尽くせてはいないのはもちろんです。

 連作短編『詩羽のいる街』は、お金を一切持たない詩羽(しいは。水曜日のカンパネラの詩羽(うたは)さんとは無関係)という女性が、人々のかかえている問題を解決することで生活し、周りの人々をもしあわせにしていく、という物語です。

 読んだのはだいぶ前なので細部は覚えていないのですが、この「お金を一切持たない」という生き方にはあこがれたのを記憶しています。

 谷崎潤一郎の「小さな王国」論を書きかけた時に、貨幣論はずいぶん読んだのですが、貨幣のない社会が可能だという論は出てきませんでした。詩羽のような生き方は個人レベルで、それも特異な人間にしか可能ではないのかも知れません。それでも、読み返してみたくはあります。まだ、あの近場の図書館に置いてあるでしょうか。

山本弘小論 反神論的思考

 「作者がでしゃばるようになると、マンガは末期症状だ!」

 故・山本弘(もはや歴史上の人物につき、敬意をこめて敬称略とします)のTRPG入門まんが、確か「放課後のサイコロキネシス」中のまんが家の独白です。

 よくある楽屋落ちではあるのですが、『ラプラスの魔』で小説家デビューし、『神は沈黙せず』を代表作とする作家の言となると、それだけでは済まなそうです。大作『神は沈黙せず』はまさに、創造主が太陽系規模ででしゃばって地球が末期症状になる物語なのです。

 いずれ『SFマガジン』あたりが山本弘特集を組み、その作風をより仔細に分析することになるとは思いますが、とりあえず一読者である私が素描してみます。その根底にあるのは冒頭の独白にあるような、反神論的思考であると。スピノザの汎神論とはまったく違い、ドーキンスらの無神論とも似て少し違う方向で。

 山本弘はSFのみならず、ゲームブックという、読者が先の展開を選べるジャンルで傑作を残し(『モンスターの逆襲』など)、トンデモ本と呼ばれる「作者の意図とはまったく異なる意味で楽しめる本」を探す、と学会の会長をつとめました。正直なところ『トンデモ本の世界』シリーズは、後期になるにつれて山本弘の、オカルトや予言者や宗教を攻撃する論調が激しくなり、ちょっと離れた時期もあったのですが、初期は大いに楽しみました。

 本(被造物)は作者(造物主)の意図を超えた意味を持ち得る。読者は作者の意図なんかに右顧左眄(うこさべん)、振り回される必要はない。そのあたりがSF、ゲーム、トンデモ本収集の三方面を貫く、山本弘の大きなテーマなのでしょう。『神は沈黙せず』には聖書のヨブ記や、SFの古典『フェッセンデンの宇宙』への言及もあります。おもしろ半分に人や星を破滅させる造物主など、たとえ存在するとしても崇拝には値しない。そうした主張の根拠として。

 この「たとえ存在するとしても」のくだりが、無神論とも少し違うところでして。

 どんなトンデモ本にも作者はいるように、この宇宙というトンデモ世界にも創造主か、フェッセンデンのようなシミュレーターはいるかも知れない。いるとしてもトンデモ本の作者と同様、その一言一句をありがたがる必要はないし、恐れる必要もない。というふうに、私は山本作品を受け取りました。

山本弘「ロストワールドからの脱出」(旧『ウォーロック』誌39号)

 多方面にわたる山本弘氏の仕事の中でも、かなり初期の忘れがたいゲームブックを一本。

 「野生の少女や恐竜、黄金のジェット機が登場する秘境冒険物」と、ウィキペディアの記事にありました。後のトンデモ本シリーズの造詣にも通じるような、恐竜が実在する地から、少女と共に脱出する短編ゲームブックです。

 結末が凝ってて、恐竜がいた証拠(ビデオ映像とか)を文明世界に持ち帰らないと、トンデモさん呼ばわりされて不遇の人になってしまう仕掛けになっていました。

 これ書きながら、むかしテレビの洋画劇場で観た『極底探検船ポーラーボーラ』という1977年の恐竜映画を思い出し、それも検索してみました。ストーリーは全然違うのですが、これも現代人が恐竜のいる世界に赴き、立ち向かう話です。こういう雰囲気の物語には、血を沸かせる何かがあるようです。

SF作家の山本弘氏がお亡くなりになりました

 SFのみならず、TRPGゲームブック界への貢献、と学会初代会長と、各方面で活躍なさったお方でした。

 旧ウォーロック誌の記事では、文章だけでなく、『放課後のサイコロキネシス』という、入門まんがも記憶に残っています。

 山本氏の数々の著述には、あれこれと笑い、学び、考えさせられました。

 

方向性はつかめたかも

 小川未明「野ばら」中の、「敵、味方というような考えをもった人だと困ります」の一節について、考え抜き、敵味方ではない関係のあり方を提示すること。

 それが文学研究者にできる、最大限の戦争の止め方であると考えております。

 飛んでくるミサイルをはね返すのは現代の技術では無理だし、ましてや文学研究者にはとうてい無理です。文学研究者にできるのは、人間どうしの関係についての考察です。できるところから始めなければ。

 現時点での構想は、「敵を憎まず、敵を愛さず」です。