核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

山本弘小論 反神論的思考

 「作者がでしゃばるようになると、マンガは末期症状だ!」

 故・山本弘(もはや歴史上の人物につき、敬意をこめて敬称略とします)のTRPG入門まんが、確か「放課後のサイコロキネシス」中のまんが家の独白です。

 よくある楽屋落ちではあるのですが、『ラプラスの魔』で小説家デビューし、『神は沈黙せず』を代表作とする作家の言となると、それだけでは済まなそうです。大作『神は沈黙せず』はまさに、創造主が太陽系規模ででしゃばって地球が末期症状になる物語なのです。

 いずれ『SFマガジン』あたりが山本弘特集を組み、その作風をより仔細に分析することになるとは思いますが、とりあえず一読者である私が素描してみます。その根底にあるのは冒頭の独白にあるような、反神論的思考であると。スピノザの汎神論とはまったく違い、ドーキンスらの無神論とも似て少し違う方向で。

 山本弘はSFのみならず、ゲームブックという、読者が先の展開を選べるジャンルで傑作を残し(『モンスターの逆襲』など)、トンデモ本と呼ばれる「作者の意図とはまったく異なる意味で楽しめる本」を探す、と学会の会長をつとめました。正直なところ『トンデモ本の世界』シリーズは、後期になるにつれて山本弘の、オカルトや予言者や宗教を攻撃する論調が激しくなり、ちょっと離れた時期もあったのですが、初期は大いに楽しみました。

 本(被造物)は作者(造物主)の意図を超えた意味を持ち得る。読者は作者の意図なんかに右顧左眄(うこさべん)、振り回される必要はない。そのあたりがSF、ゲーム、トンデモ本収集の三方面を貫く、山本弘の大きなテーマなのでしょう。『神は沈黙せず』には聖書のヨブ記や、SFの古典『フェッセンデンの宇宙』への言及もあります。おもしろ半分に人や星を破滅させる造物主など、たとえ存在するとしても崇拝には値しない。そうした主張の根拠として。

 この「たとえ存在するとしても」のくだりが、無神論とも少し違うところでして。

 どんなトンデモ本にも作者はいるように、この宇宙というトンデモ世界にも創造主か、フェッセンデンのようなシミュレーターはいるかも知れない。いるとしてもトンデモ本の作者と同様、その一言一句をありがたがる必要はないし、恐れる必要もない。というふうに、私は山本作品を受け取りました。