核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

実在と虚在の人間学

 虚在、という術語は新発明かなと思ってぐぐったら、すでに使っている方がいるようです。残念ではありますが、せっかくの思いつきを捨てるのも惜しいので、自分なりの用法で用いることにします。

 ラッセルという哲学者は、実在しないもの(ペガサスとか、シャーロック・ホームズとか)についての命題はすべて偽としたそうです。だとすれば、

 「ペガサスは空を飛ぶ」とか

 「シャーロック・ホームズはイギリス人である」

 といった命題も偽になるわけですが、どうも一般的な感覚には反します。

 そこで提案ですが、「実在しないのは確定だが、イメージとして多数の人々の頭の中に固定しているもの」(ペガサスとかドラゴンとか、シャーロック・ホームズとか仮面ライダーとか)を「虚在」というカテゴリーにいれ、それに関する命題は、「虚真」か「虚偽」で表す、というのはいかがでしょうか。

 「ペガサスは空を飛ぶ」は虚真で、「ペガサスは地に潜る」は虚偽。

 もちろん、虚在にも人によるイメージのぶれはあるので、たとえば、

 「神はただひとりしか存在しない」

 なんて命題は、世界を三分することになりそうです。多神教徒と無神論者を合わせれば一神教徒を上回りそうですが、こういう割れそうなのは多数決ではなく、虚保留とでもしておくべきかと。

 虚在なんかについて論じるのは非合理的だ、というご意見もあるかとは思いますが、潜水艦や宇宙船も、かつては虚在(フィクションの中だけのもの)だったことを忘れてはいけません。ヴェルヌらSF作家がまず小説でそれらを描き、後に科学者がそれらを実在化したわけです。

 逆にフロギストンや物理学上のエーテルは、かつては実在と思われていましたが、科学の進歩によって虚在に追いやられ、今では虚在ですらない過去の観念と化しています。実在と虚在の境界は流動的なのです。

 はい。ここで「虚在ですらないもの」というカテゴリーが出てきました。「誰の頭の中にもないか、1人の頭の中にしかないもの」は、このカテゴリーに入れるのが的確でしょう。集団のではない個人の妄想とか、「共同」のつかない幻想。

 残念ながら、「核兵器および通常兵器の廃絶」というのは、この第三のカテゴリーに入るようです。「通常兵器の廃絶」で検索しても核廃絶の話題しかヒットせず、当ブログの話をふっても「核兵器の・・・・・・廃絶だっけ?」と返されるありさま。

 「虚在ですらないもの」を「虚在」に変えるのは容易ではありませんが、まずはそこから始めるしかないのでしょう。その後に、「虚在」を「実在」に変えていくこと。

 その話をしたくて、長々と素人論理学を展開した次第です。