核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

なぜコダックを使わなかったのか?

 明治天皇のいわゆる「御真影」が完成したのと同じ時期に、アメリカではイーストマンが「ボタンを押すだけ」のコダックカメラを販売していました。

 ひそかにお雇い外国人に描かせた肖像画を写真に撮る、などという手間をかけずとも、近侍の誰かがコダックでぱしゃっと明治天皇を写せば、「御真影」は完成していたのでは。なぜそうしなかったのか。

 ここから先は不敬にあたりそうなので書きづらいのですが、あの有名な「御真影」と、実際の明治天皇は似ていなかったのではないか、と推測されるのです。だから写真をそのまま「御真影」にするわけにはいかなかったのではないか。さしずめ「御虚影」です。

 「大日本帝国」などという空威張り的な国号と同様、「御真影」もまた、明治政府要人の虚栄と美化の産物といえそうです。

ふけたなあ

 風呂場の鏡で見る分にはそうでもないと思っていたのですが、ZOOMで自分の動画を見ると、つくづくおっさんになったことを自覚します。

 当然、他者の眼に映っているのはZOOMのほうです。真を写す術というのは残酷なものです。

 村井弦斎の「写真術」にも、白黒写真を鉛筆などで「繕(つくろ)う」、つまり補整する技術の話が出てきます。真を写すカラー写真術よりも、むしろ真を写さない白黒修正写真のほうが先行していたわけです。

 そのへんの機微を扱った実例がいくつかあれば、論文になるのですが。最初は「御真影」製作のいきさつ(明治天皇を描いた肖像画を写真に撮った)を考えていましたが、特殊なケースにすぎるようです。

 

 

「世界の大破局と戦後の日本」、最新の定本漱石全集に収録されてました。

 見つかったのはいいのですが、毒(主戦)にも薬(反戦)にもならない無難な文章で、わざわざ探すほどのこともありませんでした。

サイコロジー。

 サイコロの目なんてのはランダムであると、理屈ではわかっているのですが。

 

 「自分のふった目が悪くてひどい目にあうのはまだ納得がいくが、

  相手のふった目がよくてひどい目にあうのは納得がいかない」

 

 といった、理屈にあわない感情は私も体験しているところです。

 TRPGのゲームデザインを経験した人なら、そうした感性も織り込み済みかも知れませんが。リアル中二時代に仲間内でT&Tを超える新システム作りが流行った時も、私だけは作れなかった苦い経験があります。話を考えるのは好きなのですが、ルール作りの能力はまったくなくて。

レトロゲームづくし

 注文した資料はまだ届かず、TRPG日にもまだ間があるので、PS2の懐かしゲームにふけっています。

 『少年ヤンガスと不思議のダンジョン』は、苦手だった「のろわれた庭園」を制覇。

 慣れれば視界の狭さもどうにか克服できるものです。

 残る不思議のダンジョンは、1000階の「魔導の宝物庫」のみになりました。

 並行して進めている『ギレンの野望 アクシズの脅威V』のティターンズ編は、打つ手を誤って最初からやり直すことにしました。ティターンズは戦力が地球・宇宙の各地に散っていて、戦略が立てづらいのです。シロッコはなかなか出てこないし、ジェリドはまだ未熟だし、エマ中尉はどうせ抜けるし。ヤザンバスクを両腕のようにして、大車輪で人材を酷使しています。三国志の、「魏延楊儀が両腕では、孔明も長くはあるまい」というセリフを彷彿とさせます。

「未知なるカダスを夢に求めて」(『ラヴクラフト全集6』創元推理文庫 一九八九)

 大瀧啓裕訳。この巻はいつものラヴクラフトの恐怖小説ではなく、異世界「夢の国」を題材とした冒険ファンタジーです。

 その総決算的な長編が、「未知なるカダスを夢に求めて」(原著一九二六~二七。生前未発表。一九四八掲載)。二〇世紀のアメリカ人ランドルフ・カーターを主人公とする連作の一つです。

 夢の中にのみ存在するらしい、壮麗なカダスの都。その地を求めて、カーターは夢の国深部に通じる大階段を降り、深き眠りの門を越えます。偃月刀を手に、魔法の森、月世界へと向かうガレー船、年老いた将軍猫に率いられた猫軍団などとの遭遇を経て……。

 魔王アザトホース、這い寄る混沌ナイアルラトホテップといった、後にクトゥルフ神話と呼ばれる大系の最高位の神々の名前も出てきます。

 怪奇画家ピックマン(短編「ピックマンのモデル」の登場人物)が、この世界の食屍鬼(アンデッド系ではなく、人間のなれの果て)のリーダーになってまして、その手下たちとパーティを組み、モンスターがうろつく地下迷宮を突破する場面もあります。どうにか地上に出た一行は。

 

   ※

 カーターは鼻もちならない獣の手を握り、これまでの助力をねぎらい、かつてピックマンだった獣に謝意を伝えてくれるよう頼んだが、食屍鬼が立ち去ると、われともなく歓喜の溜息をついた。食屍鬼はつまるところ食屍鬼にすぎず、人間にとっては不快な連れでしかないからである。

 (二三二~二三三頁)

   ※

 

 なんか身勝手だなランドルフ。カダスを見たいという自己中な願いのために、体を張って助けてくれたのに。