核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

柳田国男『先祖の話』より「七生報国」

 『底本 柳田国男全集 第十巻』(筑摩書房 一九六二)より、『先祖の話』(一九四六)。
 
   ※
 それは是から更に確かめて見なければ、さうとも否とも言へないことであらうが、少なくとも人があの世をさう遥かなる国とも考へず、一念の力によつてあまたゝび、此世と交通することが出来るのみか、更に改めて復立帰り、次次の人生を営むことも不能では無いと考へて居なかつたら、七生報国といふ願ひは我々の胸に、浮ばなかつたらうとまでは誰にでも考へられる。廣瀬中佐が是を最後の言葉として、旅順の閉塞戦に上つたときには、既に此辞句が若い学徒の間に、著名なものとなつて居たことは事実である。
 (一四九ページ)
   ※

 ……何が「誰にでも考へられる」「事実」ですか。その広瀬中佐の日露戦争と同じ時期に、徴兵のがれをやったのは他ならぬ柳田国男自身ではないですか。
 前述の通り、この『先祖の話』が発表されたのは戦後であり、これ自体は戦争協力の役割を果たしているわけではありません。ただ、この『先祖の話』のような、「先祖代々くりかへして、同じ一つの国に奉仕し得られるもの」といった思想が日本古来のものであるかは、疑う余地が大ありだと思っています。