ぜひ単著で紹介したい人物が出てきました。ウィキペディア「松前重義」より。
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日米開戦後に日本の生産力はアメリカ合衆国に遠く及ばない現実を知り[7]それを各方面へ報告したことから、勅任官であるが二等兵として召集されて1944年(昭和19年)に南方戦線へ送られた[8][9][10]。マニラでは南方軍総司令官寺内寿一元帥の配慮[11]により、軍政顧問として勤務して無事に復員し、のちに技術院参技官として終戦を迎える。
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科学者・官僚としての立場から、客観的なデータを示して戦争に反対したわけです。
戦後は東海大学の設立者として名を残しています。