核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

貨幣商品説VS貨幣法制説

 今回の論文の眼目を、ざっくりと書いてみます。つぶあんぱんなど食べながら。

 貨幣の起源の説明としては、貨幣商品説と貨幣法制説(信用貨幣説含む)があるわけです。現在の私にはそのどちらか一方と断定する能力はないのですが(貨幣商品説に傾いてはいます)、「小さな王国」という作品は、その両者の対立と、それがもたらす経済圏そのものの崩壊を描いているのではないか、というようなことを考えています。

 たとえば貨幣法制説をとる場合、その「法」の及ばないところでは、その貨幣は「空手形」「紙きれ」でしかないわけです。ジンバブエの法律では100兆ジンバブエドルの価値がある紙幣でも、日本人である私にとってそれは何の価値もないので、貴重な円を1円だってそれと交換するわけにはいきません。

 「小さな王国」に戻ると、内藤洋酒店という「大日本帝国」に属する店で沼倉紙幣1000円を出してしまった貝島先生は、ある「法」のもとでしか通用しない貨幣で、別の「法」の商品を買おうとする愚を犯したわけですが、はたしてそれは愚行といえるのか。この場で裁かれているのは「小さな王国」か、「大(と自称する)日本帝国」か。月俸四五円の身でありながら、「千円払いますから」と約束する貝島は、大戦景気に沸く日本の縮図ではないのか。

 といったようなことをぼんやりと考えているわけですが、手持ちの材料だけでは論文にはならないようです。注文したミーゼスの本が届くのを気長に待ちます。