前回、MMTは貨幣法制説に依拠すると書いてしまいました。確かにMMTを批判する立場の木村貴『反資本主義が日本を滅ぼす』の一九六~一九七頁にはそう書いてあったのですが、MMTを推進する中野剛志氏自身によれば、
「MMTが立脚しているのは「信用貨幣説」という学説です」
と、違う語を用いていました。以後は「信用貨幣説」を用いることにします。
信用貨幣説も貨幣法制説の一種(と、私には思われます)のですが、貨幣は一種の借用証書だというのが中野氏の(そしてMMTの)論です。
どうもそのあたりに、MMTの弱点がありそうです。「信用」のないところでは借用証書は通用しないという。
たとえばハイパーインフレ化にあるジンバブエ国。100兆ジンバブエドルなんてすごい額面の紙幣が発行されていたわけですが、購買力も信用もありません。100兆ドルじゃ足りないから1京ドルを発行しよう、なんてやってもムダでしょう。言っちゃあ悪いけどジンバブエという国自体が信用を取り戻さない限り。二〇二三年現在ではジンバブエドル自体が廃止されたとのことです。
信用のない存在がいくら「借用証書」を発行しても、「空手形」にしかならないのです。個人だろうと企業だろうと国家だろうと。小学生が紙に「百万円」とか書いてお札ごっこをやっても、せいぜい同じクラスの中でしか通用せず、大人のお店では何も買えないのです。MMT論者はどんどん貨幣を発行すればいいと言いますが、諸外国がそんな貨幣を「信用」するでしょうか?
そんなわけで、今の私はかなり反MMTに傾いています。
「百兆円札でポテトチップスは買えません。あしからず」
なんてことになっては困るので。