核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

谷崎潤一郎「小さな王国」とMMT(現代貨幣理論)

 昨日の記事の末尾で、ちょっと志の低いことを書いてしまいました。

 マルクス否定論などはあくまでも「手段」なのでした。

 「目的」は、貨幣の謎を解き、経済学の進展に貢献することです。

 そして「小さな王国」、ことにその最後の一行が示しているのは、

 

 一定額の貨幣=それと同額の商品

 

 では、「ない」ということです。ミルクだろうがポテトチップスだろうが、商品で貨幣は買えません。だから貝島先生は、ミルクを返して沼倉紙幣を取り返すという、最も穏当な行動ができなかったのです。

 「小さな王国」を頭ごなしに否定する向坂逸郎資本論入門』は、等価交換論、貨幣と商品を「=」で結ぶという誤りに陥っています。向坂は沼倉紙幣の流通を「ままごと」、結末の貝島先生の行動を「気が変になって」で片付けています。それでは「小さな王国」を読む意味がありません。

 岩井克人貨幣論』も、マルクスに寄り添いすぎるあまり、せっかくメンガーの名を出していながら、等価交換論に陥っていたようです。私は自力ではそれに気づけず、木村貴『反資本主義が日本を滅ぼす』を読んで初めて気づいたのですが。

 ではマルクスではない貨幣理論、たとえばMMT(現代貨幣理論)で、「小さな王国」は読解できるでしょうか。沼倉が印を押しさえすれば、一万円でも百万円でも自在に発行できるという沼倉紙幣は、一見、「政府に財源がなければ紙幣を刷ればいい」というMMTと似て見えます。ですが。

 「ですが」から先、MMTの是非は私の中でまだ固まっていないので、今日はここまでにします。決して論文のネタになりそうだから出し惜しみしているとか、そういうのではありません。とにかく、今度「小さな王国」論を書く時には、マルクス批判ではなくMMT是非論が主題となりそうです。