一八八二年の村井弦斎も言っていたように、経済学は大事です。
間違った経済学に基づく国策は、貧困どころか飢餓を招きます。大江健三郎が賞賛した一九六〇年中国の、毛沢東がマルクス経済学に基づくと称して実行した大躍進政策が、1000万人以上の餓死者を出したように。
そんなわけで、もう少しマルクスへの批判的検討を続けます。経済学の方面からも。
で、岩井克人『貨幣論』を読み返したわけですが。どうもマルクスに寄り添いすぎ、メンガーら新古典派(近代経済学)を軽視しすぎているように思われます。
私は経済学のゼミや講義に出たことはありませんが、谷崎潤一郎「小さな王国」論を書いた際、マルクス経済学と近代経済学の貨幣論を一通り学びました。マルクスが『資本論』冒頭で提示した貨幣論は、メンガーによって乗り越えられた、と私は読みました。
向坂逸郎『資本論入門』という本は、マルクス『資本論』を絶対視して谷崎「小さな王国」をおままごと扱いしていたわけですが、話は逆です。「小さな王国」は新古典派経済学に照らして読まれるべきであり、『資本論』はおままごとさえまともに説明できない経済学なのです。
話を岩井『貨幣論』に戻します。岩井氏は独断的で循環論法だらけな『資本論』を、なんとか新古典派的に読んで救済しようとし、マルクスとメンガーの相似を指摘しています(一〇八~一〇九頁)。これには賛成できません。
じゃあ、マルクス派の人たちは岩井著を喜んだのかというと、そんなこともなくて。
CiNiiで検索すると、マルクスを絶対視して、岩井著をブルジョア経済学(懐かしい響きだなおい)だと批判する論文がいくつも見受けられます。ポテトチップスで100円は買えませんに言及している論文もありましたが、どうもあのCMさえ誤読しているようです。あれは『資本論』の価値形態論への、根本的な批判として視聴されるべきなのです。
マルクスにどっぷりつかった論者は21世紀になっても存在し続け、マルクス『資本論』を読み返す式の本は大々的に宣伝され続けています。一方、メンガーら近代経済学者は一般的には名前すら知られず、彼らがすでにマルクスを超えていることも知られないままです。せめて当ブログだけでも、近代経済学の側に立たねば。