ミルちゃん、キクちゃん、ナンダロウくんの三人が野外実験中、それぞれ残りの二人を探して迷子になるという、ろくでもない夢を見ました。なんだろな。
カフカ「掟の門」
ある男が掟の門にやってきます。強そうな門番がいて通してくれません。
奥にいくほどさらに強い門番が守っていて、最初の門番でさえ三番目のを見ただけですくみあがってしまうほど、という少年ジャンプにありがちなインフレ構造。男には、最初の門番さえどうにもできません。
持ってきた金品を渡したり、泣き落としてみたりするのですがどうにもならず、男はだんだん年老いていきます。ついに死の間際、男が発した最後の問いとは・・・・・・。
岩波文庫『カフカ短編集』で3ページほどの、けっこう有名な短編ですが、結末は一応伏せておきます。長編『審判』の中にも出てくるようです。青空文庫では、「道理の前で」という題で全文が訳されています。
ベンヤミンやデリダといった有名評論家がさまざまな解釈をしていますが、元の作品よりはるかに難解で、腑に落ちませんでした。
ただ、たしか浪人時代にこの話を読んで以来、難関に突き当たるたびに思い出したものです。もしかしたら、私の人生にプラスになっている読書体験かもしれません。
時間がむなしく過ぎてゆく・・・・・・
できれば昨日の憲法記念日にでも、堂々たる護憲論を書きたかったのですが。
どうも集中力が欠けている状態らしく、果たせませんでした。
たしか森鴎外の『灰燼』に
カフカ「仲間どうし」(1920 草稿)
家の中から五人出てくるんですよ。他人はそれを指して、あれは五人仲間だと呼び、当人たちもそんなものかなと思った頃に、呼ばれもしない六人目がやってきます。別に五人が固い友情で結ばれてるとかそんなことはまったくないのですが、六人目が加わるのがうっとおしくてしかたがない。なのに、六人目は何度追い払ってもやってくる・・・・・・。
新潮社『カフカ全集 決定版』2巻収録の草稿断片だそうですが、手元にないためうろおぼえで書きました。いずれ図書館で確認します。
五人仲間は六人目を排除することによってのみ五人仲間でいられる。シャンタル・ムフの本によく出てくる「構成的外部」とはこの六人目のようなものかと思ったり。共同体と差別の起源についてあれこれ考えさせてくれる小品です。