核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

森鴎外『灰燼』におけるジェンダーの問題

 私は明治反戦文学の研究で学位を得た人間で、ジェンダーとかセクシュアリティの問題にはうとかったのですが、そうも言っていられなくなりました。森鴎外の全集でしか読めない未完の小説『灰燼』にも、トランスジェンダーの人物が登場するのです。

 以下、国会図書館デジタルコレクションより、『灰燼』の「拾」を引用します。登場人物のレベルでトランスジェンダーへの偏見が見られますが、当方には差別を助長する意図はありません。文学史上の資料としての紹介です。

 

    ※

 息子の光太郎は十七歳になる。人の目に附く美少年で、しかもいつも身綺麗にして、書生風ではあるが、華族の若殿かと思はれるやうな着物を着てゐる。籍は牧山の息子の通つてゐる東京中学に置いてあるのに、欠席勝ちで、成績がひどく悪い。

 中学では生徒仲間に、お光(みつ)さんと云ふ名で知れ渡つてゐて、同級のものも親しくはせず、休憩時間に生徒が大勢寄つて話をしてゐる所へ、相原が来ると、皆云ひ合せたやうに黙つてしまふ。

 どうしてこんな仇名が附いてゐるかと云ふに、女親にあまやかされて、柔弱に育つてゐるからと云ふだけではない。実際光太郎は、まだ二親の墓地前に住まつてゐた頃、赤いりぼんを掛けた娘であつた。小学校では相原みつと云ふ女生徒になつてゐて、裁縫の稽古をしてゐたのである。

 その相原みつが相原光太郎となるには、裁判所の手続を経て、戸籍の訂正をした。その前には大学の附属病院へ往つて、身体検査をして貰つた。

 

 (以下、新聞の報道ぶりを批判する文章が続くが省略)

 

 さて新聞に出たのはこれだけである。おみつが身体検査をせられて、男になつたには、外からそれを促した動機がある。併し、それは新聞には出なかつた。丁度小学校を卒業し掛かつた時の事であつたが、同級に中の好い友達がゐて、どこへ行くにもさそひ合せて一しよに行き、何事も人を避けて二人で相談すると云ふ風になつてゐるうちに、その友達が相原の内へ、後家さんの留守に来るのが、唯中の好い友達だと云ふばかりでは無ささうに見えて来た。とうとう或る日後家さんが予定の時間より早く帰つて、女と女との間にありやうの無い場合に遭遇した。それから気が附いて見れば、おみつの体にはいろいろ思ひ合される事もあつたので、大学の先生に見て貰ふまでになつた。おみつで小学校の科程を踏んで来た子が、卒業証書だけ光太郎で受けた。

 光太郎は男にはなつた。併し、とかく女と附き合ひたがつて、どこの娘に手紙を遣つたとか、寄せの出口で、どこの娘の手を握つて心安くなつたとか、いろいろな噂が絶えない。その頃はまだ不良少年だの、色魔だのと云ふ、新聞で読める流行詞は出来てゐなかつたが、その光太郎が谷田の娘に物を云つたと聞いて、牧山夫婦が不安に思つたのは無理も無いのである。

 『鴎外全集 第5巻』九四〇~九四二頁

    ※

 

 『灰燼』連載は、『三田文学』1911年10月–1912年12月中絶。明治と大正の変わり目です。引用を省略した箇所でもこの後の箇所でも、『灰燼』という作品はやたら「新聞」というメディアにこだわっているのですが、このエピソードはいかなる位置を占めるものでしょうか。相原光太郎を扱った先行論文はまだないようです。

 

 追記 山崎 一穎「鴎外・「灰燼」試論」 跡見学園女子大学紀要 = Journal of Atomi Gakuen Women's College 5 一-一八, 1972-03

 の注2に、相原光太郎の役割を考察した、瀬沼茂樹福永武彦の両論文が引用されていました。探せばまだありそうです。