核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『アンクル・トムの小屋』「第十七章 自由人の防御」における暴力

 ストウ夫人著 大橋吉之輔訳 『アンクル・トムの小屋(上)』旺文社文庫 1982。
 奴隷解放のための暴力という問題について、ストウ夫人はどう考えていたか。その回答です。
 (回答の一つ、というべきかもしれません。この挿話がすべてではないので)
 カナダへの逃避行を続ける混血児ジョージ・ハリスと逃亡奴隷一行に、警官と賞金稼ぎの一団が迫ります。
 ジョージの熱のこもった警告と説得(語り手は「独立宣言」と呼んでいます)にもかかわらず、追手は「ケンタッキーじゃ生死にかかわらず賞金はおんなじだからな」とピストルを撃ってきます。ジョージも発砲し、追手の一人に重傷を負わせます。残りの追手は黒人の思わぬ反撃に驚いて逃げていき、黒人たちは負傷した追手トムに憐れみを感じて手当てします。
 
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 ジョージが言った。「もし、ぼくが死なせたとなると、いつまでも気にかかりますもんね、理屈はどうあっても」
 「まったくですな」と、フィニアスは言った。「殺生はいやな所業ですね。相手が人間であるにせよ、動物であるにせよ、殺生をどうやってのけるとしてもね。わたしも元気なころにゃ狩人としていっぱしの者だったですが(引用者注 フィニアスは白人)、射とめて死にかけた雄鹿を見たことがありましてね、それがちょうどあの男のような目つきで撃った者を見つめるんで、ほんとうに殺生がよくないことだという気になりましたねえ」
 (345ページ)
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 奴隷解放大義のためとはいえ、ストウ夫人は無制限な暴力の行使を認めてはいなかったようです。自分で撃っておいて何を、という気もしますけど。