核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ボルヘス 「不作法な式部官 吉良上野介」

 いくらボルヘス好きとはいえ、毎度毎度ゼノンのパラドックスめいた話を読まされると、いささか閉所恐怖症めいた沈うつな気分になってきます。
 聞くところによるとボルヘス殿は、晩年のインタビューで、「鏡とか迷宮にはもううんざりだ」と発言したそうです。ていうか、あんたが言うな(笑)。
 というわけで、最後に紹介するのは、歴史小説集『汚辱の世界史』(1935)より、迷作「不作法な式部官 吉良上野介」です。
 
 逃亡黒人奴隷をだまして二度売りを繰り返しては、ミシシッピ川に放り込んでいたラザラス・モレル。
 (二度売りいくない)
 地球を半周したオレオレ詐欺師、トム・カストロ
 清の未亡人(またかよ!)海賊、鄭夫人。
 ネコ大好きのギャングボス、モンク・イーストマン。
 西部の早撃ちビリー・ザ・キッドこと、ビル・ハリガン。
 「鏡と父性は、パロディーを増殖し確認するが故に忌むべきである」(おお、トレーン哲学じゃないか)と説く、イスラム初期の覆面の予言者、メルヴのハキム。
 …といったやさぐれどもに混じって、われらが日本代表のご登場です。
 では、ボルヘス忠臣蔵のはじまり、はじまり~。かちかちかち。
 
 「過ぐる一七〇二年の春、名高い赤穂の城主浅野内匠頭は、勅使接待と饗応の役を仰せつかった。(略)江戸表から作法指南役として高官が派遣された」
 
 ん?。ウィキペディアの「元禄赤穂事件」の項によりますと、浅野が饗応役についたのは元禄14(1701)年春だそうですけど?。いやそんな細かいことより、なぜ吉良が赤穂城に?
 (念のために書いておきますが、浅野が吉良に斬りつけたのは江戸城松の廊下です)
 少し飛ばして、浅野切腹の段。
 
 「赤穂城本丸の中庭(略)白髪の細心な男が、白刃一閃、頭を切り落とした―介錯人、家老の大石内蔵助である」
 
 やっぱり赤穂城だよ。しかも大石間に合ってるし。
 そして吉良邸討ち入りの段。
 
 「第二隊の指揮をとったのは上の息子だったが、彼はこのときようやく十六になるところで、その夜死んだ(略)九人の浪士が命を落とした」
 
 大石主税死んじゃってるよ。実際には浪士側の被害はゼロです。桜田門外かなんかと混ざってないか。
 そして吉良討ち取り。実際には討ち取ってから判別したそうですが、ここでは額の刀の傷跡でばれて討ち取られたことになってます。吉良に「ぼくはヴィンセント・ムーンです」とかボケてほしかった。
 (今ごろになって、「ははははは。そうさ、ぼくがキラだ」というボケを思いついた。2011・7・1注記)
 後(浪士切腹の段)はまあ、そんな感じかなと。かつて大石をばかにした薩摩藩士が墓前で切腹するくだりは史実ではないそうですが、伝承はあるそうです。
 別にボルヘスが文学的な意図あって改作したわけではなく、参考にしたミトフォードの本に問題があるようです。
 ボルヘスならもっと徹底するでしょ。吉良が復讐を恐れるあまり、自宅を百の門と回廊と小部屋を持つ迷宮にリフォームするとか、大石が「この迷路 線が三本 余計なり」と辞世を残して返り討ちにあうとか、数年後に刀の形の傷跡を持つ老人がアルゼンチンの酒場ですべてを告白するとか。
 実は私は忠臣蔵にそんなに詳しくないので、つっこみが甘い点はご容赦ください。通常兵器による復讐を美化する物語など、私は認めないのです。
 
 5・16 23:50 ちょっとだけ加筆しました。本物の忠臣蔵も意外と知られてないみたいなので。
 それではみなさん。アテブレーベ・オブリガード(また逢いましょう。お元気で)。