もし○○が無限だったら。
といったテーマを追求しつづけるアルゼンチン文学の雄、ボルヘス。
ご紹介したい作品はいっぱいあるんですけど、紹介=ネタバレになるようなのは避けたいんですよ。
ブラウン神父の最終回「とけない問題」を思わせる「死とコンパス」とか。
お前かい!と本につっこみたくなる「刀の形」とか。
太宰治の「駆込み訴え」をもうひとひねりした感じの「ユダについての三つの解釈」とか。
通好みだけど、読者論に詳しい人からの突っ込みが怖くて紹介できない、「『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール」とか。
九人じゃなく七人だろと言いたくなる「アステリオーンの家」とか。
「この宮殿を建てた神々は馬鹿だった」というフレーズがやけに印象的な「不死の人」とか。
いずれ日を改めてとことん突っ込みたい、「不作法な式部官 吉良上野介」とか。
黙示的なネタバレを一通り終えたところで、「トレーン(以下略)」のあらすじを。
とある事情で手に入れた、古い百科辞典の第十一巻(Hlaer-Jargr)。それはこの世界のどこの国のものでもない、未知の天体トレーンについての全歴史の断片でした。
「その建築とトランプのカード、その神話の恐怖と方言のつぶやき、その皇帝たちと海、その鉱物と鳥と魚、その代数学と火、そして、その神学及び哲学上の論争のことごとくが、ここに包含されている。しかも、それらはすべて明瞭で、首尾一貫し、なんら見えすいた教義的な意図も、かくれたパロディの調子ももっていなかった」
主人公たちはトレーン百科辞典の残りの巻を求めて世界中の図書館をかけめぐるのですが、見つかるはずもなく、十一巻の断片的な情報を頼りに、ついに自分たちで残りのトレーン辞典を再建しようとします。「獅子も爪で知れる」と、(たぶんトレーンの)ことわざにもありますから。
そして明らかになる、トレーンの哲学大系。
「トレーンには科学というもの、単に合理的な思考さえないという結論に達する。(略)トレーンの哲学者たちは、真実、あるいは真実らしきものを探求しているのではなく、むしろ、驚異を求めているのである」
文学なんかはどうかと言いますと。
「支配的な概念は、あらゆるものは唯一の作家の作品であるというものである。(略)批評家は二つの異なる作品―たとえば、『道徳経』と『千夜一夜物語』にしてもよい―をとりあげ、それらを同一の作家のものとみなし、そして心からこの興味深いひとりの文人の心理を探索するだろう」
だ、ダメテクスト論だ…。
参考までに書いておきますと、本作品の発表年は1940年となっております。ただ、その後に、追記(1947)年という文章がありますが、これが本物の追記なのか作品の一部なのかよくわからない代物でして。
なお、私はこういう、大の大人が集まって想像の異世界を作るといったお遊びは、むしろ大好きな方です。
ただ、それが遊びの域を超えて、歴史改変だの神話捏造だのの方向にいくのはあぶないと思っています。
(「トレーン」の追記にも、そうした傾向が暗示されています)