核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎 「燃えあがる緑の木 『救い主』が殴られるまで」(1993)

 こんな時間ですが、大江健三郎の「燃えあがる緑の木 『救い主』が殴られるまで」を読み終わりました。
 昼間のうちに読め?電気代のムダ?ごもっともですが、つい夜中に目が覚めてしまいまして。
 しかし、京都の老舗料亭かなんかのように(そんなとこ、実際に行ったことはないんですが)、完璧に「一見(いちげん)さんお断り」の世界でした。
 「頭の障害と超人的音感を持つヒカリさん」だの、「四国の谷間の村」だの、「壊す人の伝承」だの、「治癒能力を持つギー兄さん(二代目だそうです)」だのといった大江神話が自明の前提として書かれてまして、作品に入り込むのにかなり手間取りました。
 
 『同時代ゲーム』は筒井康隆にはまってた中学浪人時代に読んだきりですし、『万延元年のフットボール』もたしか大学時代に読んだのですが、筒井のパロディ「万延元年のラグビー」で大受けした印象のほうが強くて。
 
 図書館はまだ開いてないし、ネットで大江健三郎まわりの情報を補完して、なおかつ燃えあがる三部作(借りてきた『大江健三郎小説 10』にまとめて収録されてます)をすべて読んでから、ちゃんとした感想を書こうと思います。
 
 とりあえず言いたいのは、人を治癒することと、「救う」ことは別だということです。
 死を間近にした人を慰藉するのはいいことでしょうが、それで魂まで救えるなんて思い込むのは思い上がりとしか言えません。
 
 小説は、殴られた自称救い主とその信奉者が教団「燃えあがる緑の木」創設を決意するところまでで終わってます。これが例の『宙返り』にどうつながっていくのか、じっくりと読んでいくつもりです。