核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

白色人種が支配する地球で、黄色人種と名指されつつ生きるということ

 「美少年」という作品の舞台は明治26年、西暦で1893年であり、どうしても19世紀末の地球を覆った帝国主義と、黄禍論をはじめとする疑似科学的な人種言説にふれざるを得ないようです。今日はそのへんからのアプローチを。

 ここで原文を引用したいところですが、アイヌへの差別語を含むため、「おことわり」をつけた学術論文ならともかくブログではまずそうです。要点は、

 「日本人は白い米を食べる人種だ、昆布や鮭を食べるアイヌとは違う」

 といった言を、主人公の日本人少年が吐いているのです。

 セリフのレベルに留まらず地の文の語りでも、主人公は「白い顔」「白面の美少年」「真珠の歯」などと、やたら白さを強調されています。まるで日本人は白色人種であり、黄色人種アイヌを差別する資格があるといわんばかりに。

 一方、そのセリフを吐かれたアイヌ男性は、アイヌを黄色いと軽蔑(あなど)るまいぞ、と反論し、日本人少年に怒りをぶつけます。

 ここでいったんストップ。この両者のとった立場は、白色人種が支配する地球で、黄色人種がとり得た二つの態度を示しています。

 

A できる限り白色人種の外見・やり方を真似て、「名誉白人」として生きる。それは必然的に、自分たち以外の非白色人種を差別することも含む。

B 白色人種を真似ることなく、黄色人種とあなどるまいぞ、と貼り付けられた軽蔑的名称を否定する。

 

 Aは明治政府のとった鹿鳴館外交、昭和戦後日本のとったアメリカ化と同じ道であり、当時としてはやむを得なかったのかも知れませんが、決して見よい態度ではありません。そうした態度が差別を生むことも前述の通りです。

 Bはというと、幕末の攘夷派のような、不毛な流血を産む態度であるかも知れません。無条件にほめられる態度ではありませんが。

 小説「美少年」の結末をネタバレしてしまうと、AとBの黄色人種二人の争闘の末、Aが勝利し、アイヌ女性「珊呂香」を妻にし、Bは婚約者を奪われた絶望のあまり憤死します。以下の引用の通り。ふりがなは省略しましたが、大意は伝わるかと。

 

   ※

 絶望に打たれたる魯沙美は忽ち其美しく着飾たる黄虬の衣を裂き捨てゝ自己は村に還りぬ、心は裂けゝん、血を吐くこと一斗、その暁に死せり。
 北の京と呼ばれたる、石狩の国上川神居の森を抜きて高く聳えたる大館は、一月一日の夜雪に電灯花の如く照り会へり、うちには洋々たる音楽起り紳士淑女は雲の如く簇れり、是れ北海の太守乾猛太の催せる夜会なる、賓客のうちに一個の年若き美紳士ありて、玉の如き夫人と相携へて、其間に翩々として周旋し居るを見る、此の人を誰となす、千島の新島守大山桃太郎と其妻珊呂香。    (完)

   ※

 

 まさに植民地様式。Bこと魯沙美が着ていた「黄虬」というのは黄色い晴れ着でしょうか、後で調べます。Aこと桃太郎は当時のロシアとの境界である千島の新島守に就任します。

 結局、「美少年」自体はいかにも明治前期的な国権政治小説に過ぎず、そこに大日本帝国による北海道「開拓」への批評性など見いだしようもない、ということになるかも知れません。しかし、私は魯沙美の、アイヌ黄色人種「と軽蔑(あなど)るまいぞ」という発言に、可能性を見いだしたいのです。黄色人種「を軽蔑るまいぞ」ではない点に。

 「と」か「を」か。一字の違いですが、そこには貼られた蔑称を否定するか、内面化してしまうかの大きな違いがあると思うのです。