核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「コクリコ坂から」、観てきました。

 栄えある活動写真レビューの第一弾。♪ゆ~る~い調子でいってみます。
 なお、一切の予備知識を持たずに観たため(テレビCMだけはたっぷり見せられましたが)、ファンの方には常識と思われるような情報が欠落している恐れがあります(注)。ご了承ください。
 
 「カルチェラタン(週刊誌ではなく木造建造物のほう)は保存されるべきか?」
 それが問題なのです。
 まだご覧になってない方のために、ネタバレしない程度に筋を紹介します。
 あるきっかけで知り合った少年を訪ねて、高校の文化部合同棟「カルチェラタン」を訪れた少女。
 (本名は「海」で、友人からは「メル」と呼ばれています。フランス語でしょうか)。
 明治時代に建てられたというその建物は、ろくに手入れもそうじもされないまま、歴代の生徒たちによって好き勝手に改造され、「魔窟」と呼ばれるありさまになっています。理事長から取り壊しの指示が出ていることを知った少女は、生徒たちに呼びかけて大そうじと改装工事を決行し、理事長に取り壊しを撤回させようとします・・・。
 
 この「魔窟」、大そうじと改装工事前のカルチェラタンに、魅せられてしまったのです。これぞアニメの力。
 私は「非現実的なのに、妙に生活感のある巨大建造物マニア」なのです。書籍紹介でボルヘスの「バベルの図書館」(そういや、冊数計算がまだだったな。またいずれ)をとりあげたのも、「ああいう超巨大図書館で、一生本だけ読んですごしたい!」という願望あってのことなのです。
 
 しかし、高校の部活動の場となると、カルチェラタンは明らかに問題です。木造の手すりはよりかかっただけで壊れるし、「化学の実験」をしている部もありますし。改装後も床が抜ける場面があり、明らかに危険対策はなされていません。
 「天空の城ラピュタ」や「千と千尋の神隠し」(注)のような、非日常の冒険の舞台であれば、いくら危険であってもいいのですが、日常生活の場があれでは地震一回で大惨事になりかねません。やぼを承知で、私はカルチェラタンは取り壊されるべきであったと主張します。
 
 製作者(具体的に誰かは知りませんが)の欲望には共感できるのに、作中の登場人物たちの行動には賛同できないという、珍しい虚構でした。逆はいくらでもあるのですが。いずれ「小説における虚構の意味」といった論文を書く際に、じっくり考えてみます。
(2011・8・22追記 別に珍しくなかったですね。○○殺人事件の類はたいていそうでした)
 
 注 (ここから先は「コクリコ坂から」と無関係です。嫌な気分になりたくない方は読まないでください)
 「千と千尋の神隠し」を、公開からず~っと後にテレビで見た時、私は大学院の院生室で、木造巨大建造物への思い入れを熱く語りました。すると、例の2人の後輩つぶしマニアのひとりが、
 「あの映画は少女をソープで働かせる話ですよ。そんなことも知らなかったんですか?」
 アンタル「いや、そういう説があるのは知ってるけど。あの建物のレトロ観は」
 「ソープですよ。もしかしてロリコンですか?」
 アンタル「・・・・・・」
 ・・・文学理論読みの文学理論知らず。俗物め。